島の子供たちの学力向上を
(上)小宮山万里子
学力が落ちている!
学校週5日制になって、子供たちが学校に来る日は何日ぐらいになったでしょうか。なんと365日の55%の約200日です。そのうち、始業式、入学式、遠足などの各種行事の日を除くと実質授業日数は180日(半分以下!)に減ってしまいます。こんな状態で子供たちの学力がつくのか、という心配は現実になってきているようです。東京大学学校臨床総合教育研究センターが関東地方の小学生約6200人に実施した算数の学力テストで、全く同じ問題を使った20年前の調査結果と比べ、正答率が10.7ポイントも落ちている結果が出たのです!
テスト結果は・・・
設問は計算、量と測定、図形、数量関係の各領域の基本的な129問、この同じ問題を1年生から6年生まで出来るところまで解くというものです。全学年で20年前より落ち込んだこと、下の学年の子より点数が低い子(例えば3年生が2年生より得点が低い)の割合も増えていること、計算・数量関係の落ち込みが大きいこと等が指摘されています。一方、上の学年の問題まで出来る子の割合が変わっていないということは、塾などの学校外学習の結果だと思われます。いずれにしろ出来る子と出来ない子の2極分化がはっきりとうかがえます。「学力低下は指導要領だけの問題ではなく、教師の教え方、家庭での学習環境などが複合的に影響している。『教科書の説明を簡素化することで分かりやすくなり、学力が高まる』と文部科学省は言ってきたが、むしろ基礎学力の定着を妨げている」と研究チームは言っています。
2転3転の教育内容
これまでの指導要領の変遷は、ひたすら難しくなる方向で進んでいました。半年かけて習っていたひらがなが2,3ヶ月でおしまい、1年かけて覚えていた九九も一ヶ月あまりでおしまい。その結果、落ちこぼれが多数生まれ、「詰め込み教育」の反省から「ゆとりの時間」が設けられましたが、「ゆとり」は生ずるわけがなく、さらに少なくなる授業時間と「ゆとり」の消失に合わせるかのごとく、教育内容が一挙に3割削減されました。しかし、文部科学省は、教える内容を易しくすることで「わからない子を0にする」「中学卒業時点で全員百点にする」と豪語していたにもかかわらず、現状はすべての学年で出来ない子が増えていました。こうした事態に、まず最初に警鐘を鳴らしたのは大学の先生です。「分数の出来ない大学生」が話題を生み、学力論が社会問題になっていく中で、経済界や政界からも抗議がくるに至り、文部科学省はまたまた大きく方向転換しました。宿題や補習授業を奨励する「学びのすすめ」を出し、3年後の指導要領の改訂を言い出したのです。それではまた、元の詰め込み教育に戻るのでしょうか。
公教育の多様化
ここで、もう一度上記の研究チームの発言に注目して下さい。「学力低下は指導要領だけの問題ではなく、教師の教え方、家庭での学習環境などが複合的に影響している」のです!そして、今後、この傾向はますます拍車をかけると思われます。
今、私立の多数の学校は、子供の数の減少に伴い存立の危機に直面しています。マンション群の林立で生徒増に困惑している学校もあると言いますが、これは例外で、多数の公立の学校も少子化の危機を迎えています。一方、地方分権が進むのと期を一にする形で、義務教育課程の教育内容や制度も自由度が高まりました。その一つに、学校選択制があります。都立高校では今年度から学区制が廃止され、どこの高校でも選べるようになりましたが、小学校や中学校でも学区の制限を超えて入学出来る地域が増えています。そうした学校では、より多くの児童を集めるため、特色を打ち出すのに懸命です。また、私立名門校に対抗する公立ブランド化も、小中一貫校などとして行われようとしています。要するに、自由競争の原理を学校に持ち込み、おめがねにかなった学校には予算を多く振り分け、競争力のない学校はをつぶしていこうというものです。
このように、義務教育の段階から公立の小中学校に格差を付けていく、その先にあるものは何でしょうか。予算の格差はもう現実に行われています。教師の配置の格差も当然考えられるでしょう。優秀な教師や、従順な教師、保護者に人気の教師はブランド校やエース校に配属されるでしょう。海を隔てた伊豆七島には、どんな教師が配属されるでしょうか。次に生まれるのは地域格差であり、親の階層格差です。
公立の小中学校が均一でなくなり、学校も自由に選べるとなると、今までは、大学受験やせいぜい高校受験の際に頭を悩ませていた学校の選択を、中学校や小学校入学の段階でしなければならなくなります。しかし、子供の個性や自我が未発達な幼小時期に、何を基準に学校を選べばいいのでしょうか。教育の中身?通学に便利かどうか?友達関係?将来性?いずれにしろ、選ぶのは「親」であり、親がどういう考えを持って選択するのかが大きく関わります。ひいては、「親」がどういう階層に位置しているかが選択肢を規定していく要因になり、子供の将来を左右していくように思います。
八丈島の場合はどうなるでしょう。選択の自由はほとんどありません。島の学校が不満だったら東京に引っ越すしかありません。公教育が均一でなくなるということは、家庭の経済力や教育力が子供の能力の形成に大きく関係してくるということです。試験の結果を見て下さい。学校の教育内容が変わっても、塾や家庭教師付きで勉強している上位の子の成績は変わっていないのです。上位の子は公教育の中身に影響されません。一方、特別な勉強をしていない子は、当然学校の学習内容に作用されます。そして作用された結果が大幅な学力低下だったのです。八丈島のように地域格差に悩むところほど、家庭の経済力や教育力がさらに子供にはね返るでしょう。今まで、世界の中で高水準な学力を保っていた日本の子供たちが、ほんの一部の優等生と、多数の落ちこぼれに振り分けられていきます。こうして、地域格差と階層格差が広がり、教育の不平等は社会的不平等へと転化していくでしょう。
(つづく)
2002年12月9日 (小宮山万里子記)