■三宅島への帰島は始まったけれど
三宅島の全島避難命令がこの2月1日にようやく解除され、4年を超える避難生活が続いていた三宅島の皆さんの帰島が始まった。懐かしいふるさとに帰り、喜びに満ちた皆さんの顔を見て、私も久しぶりにうれしい思いを味わった。
だが、帰島できたたとはいえ、未だに火山ガスの排出が続く三宅島の生活は、避難前と同じようにはいくはずもない。
「被災者」としての生活が、これからは島の中で続くのだ。いつもガスマスクを携えながらの危険と背中合わせの厳しい生活は、いつ終わるかさえわからない。
この三宅島民の安全を、石原知事は「自己責任」などとつきはなしているが、隣の島に住む私たちは、友愛の心をこめて、できうる限りの支援を続けて行かなくてはならない
と思う。
(2005,2,4)
■ポットホールが大変です
末吉のこん沢林道にあるポットホールは、島内外の多くの自然愛好家たちが訪れる人気のスポットです。水の流れによる侵食で、川底の岩盤にできたくぼみが数百メートルも続くとても珍しい地形を、周囲にめぐらされた小道を気軽に散策しながら楽しめます。
このポットホールが大変なことになっているとの通報が寄せられました。川
の周辺に自生している植物群が根こそぎはぎ取られ、また周囲の木立が大々的に伐採されてしまっている、というのです。そこで直ちに現場に駆けつけてみると、通報のとおり、以前とは大きく変わった
景観が広がっていました。最近になって、散策路の改修が行われたらしいのですが、言われたとおりの惨状で、通報してくれた方の驚きと悲しみを私も実感しました。
以前の散策路は木の枝が倒れかかっていたり、滑りやすい場所やくずれかけているところも多かったので、ある程度整備することは理解できます。しかし、なぜこれほど大規模に
手を入れなければならなかったのでしょう。自然を愛し、自然と接するための散策路なのですから、利便性を優先する一般道路
とはちがい、現場の植生など自然体系に配慮した工事が行われなくてはならないと思います。昨年も三原山・鴨川林道の樹木が大々的に伐採されて批判が起こり、私も議会で追及したばかりなの
ですが、同じような事が繰り返されることはまったく残念です。
(2005,1,28)
■ごぶさたしました
みなさま、いつも閲覧して下さってありがとうございます。
このページを長いあいだ更新せずに申し訳ありませんでした。
諸般の実務に追われ、ついついページ更新に手を出す余裕が持てずにいるうち、あっという間に月日が流れていってしまいました。
その諸般の実務のうちの最も大きかったのは、改めて言うまでもないのかも知れませんが「町長選」でした。しかし、残念ながら、これは大敗の結果になってしまいました。
人口の急減、観光の落ち込み、高齢化の進行など、きびしいの現状にある八丈島をこのままにしてはならないとの思いから、この町長選には、同僚議員であった沖山芳清氏をおしたてて闘いました。沖山氏の識見、指導力、行政能力こそ、今の八丈島を救うべきリーダーになくてはならないな資質だと確信したからです。
はじめから厳しい情勢の中で、もがき、あえぎながらの闘いでした。立候補してくれた沖山芳清氏ご自身も、そのことは承知の上で、それでも誰かがやらなければならないとの思いからの決断でした。しかし、あまりにも厚い壁の前に、私たちの力は小さすぎたのです。
結果は厳粛に受け止めなくてはなりません。住民の大多数が支持した浅沼町長をもり立て、協力して、この島の発展に尽くさなくてはならないと思っています。
一方でまた、私自身に足りなかったものも少しずつ見えてきています。今は、それを冷静に分析・整理したうえで、新たな課題に向かって進んでいきたいと思います。今後とも、皆さまの変わらぬご支援をお願いします。
(2005,1,19)
■邦人誘拐
イラクで誘拐されていた日本人3人がさきほど(15日)1週間ぶりに解放された。テレビや新聞では連日家族の苦しみがつぶさに報道されてきた。そして多くの国民がその耐え難い思いを共有しながら、一刻も早い解放を待ち望んできたのだと思う。
だが、この解放の直前に別の邦人2名の拉致が伝えられ、喜びの中にとまどいが錯綜している。 しかも、誘拐の対象は日本人に限ったことではない。同胞でなければ報道は少ないけれど、殺されてしまったイタリアの方の命が日本人より軽いわけなど決してないのだ。もっと考えて見れば、3人や5人の命でも日本では大問題だが、イラクでは毎日その何倍、何十倍もの罪のない命が奪われている。一方のアメリカ兵にだって、その一人ひとりに、無事を祈り続けるかけがえのない家族がいるはずなのだ。
帰ってくる3人の命の尊さを実感できたことが、毎日の戦闘で失われていく命がいかに重いかを知る想像力につながるなら、この事件もけっして無駄ではなかったと言えるのだが。 (2004,4,16)
■たくなん
神湊港に繋留された新造船「たくなん」。漁業振興のためにがんばれ。
東京都が管理する八丈島水産試験場の漁業調査指導船「たくなん」(44トン)が、この3月に新しくなってお目見えした。水産試験場の説明によると、この「たくなん」は、伊豆諸島南部海域を中心に
した漁業振興と資源型漁業の推進を目的としており、最新鋭の漁撈設備と観測機器を搭載している。速力は最大14ノットで、高速化が進む一般の漁船に比べてそれほど速
いわけではないようだが、海鳥レーダーや三次元に海底地形を表示できる機能などの最新機器で、カツオなどの魚群を探査できるのだそうだ。
八丈町が昨年春に設置した浮き魚礁(パヤオ)も、ここにきて魚群を集める効果を発揮しだしているらしく、漁業関係者や太公望に歓迎されている。八丈漁協では、新たな
浮き魚礁の設置も計画しており、これまで漁業不振のくらい話ばかりが続いていた中に、小さな明かりが見えてきた。この曙光がさらに大きく輝くよう、新造船「たくなん」にも大活躍を期待したい。 ((2004,3,25)
■自作自演
中之郷の新堤(あらづつみ)
は美しいが、今は農業用水としては使われていない。
処分場による汚染が地元農家に不安を与えている。 それなのに、さらにまた…。
2月6日号の地元紙に、この新聞としては前代未聞の全面広告が掲載された。内容は「安川の水源を守ろう」という意見広告。一見、自然保護派を思わせるが、よく読むと自然保護どころか、中之郷の最終処分場建設反対運動に対するケチつけだった。論旨は「建設予定地は飲料水の水源ではない」「すでに破壊されかけた土地だから、今さら『クワを入れるな』という
のは人心を惑わす無責任な主張だ」というところか。それはさておき、この雑文、書いたのは「??を守る会代表」として記名された方とは別人らしいとの噂だった。そして、それからしばらくして東京在住を語る人物から、反対運動の代表宅に3回も電話が入った。「自分は処分場建設反対の署名をしたが、タイムスを読んで
ダマされていたことがわかった。だから慰謝料を要求する」という内容の脅迫電話だった。
しかし、電話がどこからかかったのかが受けた電話に残った着信履歴ですぐにばれてしまった。何と、この文を書いたという噂の張本人の自宅からだったのである。通報を受けた警察の追及に、自作自演だったことを素直に認めたのだという。警察からその旨が「被害者」に伝えられたのだから、これは今や「噂」ではなく、公(おおやけ)の「事実」である。
中之郷では笑いの種になっているが、決して笑って済まされる話ではない 。
(2004,3,2)
■「国際貢献」
今、八丈島でもインフルエンザがはやり出して、小中学校で学級閉鎖があいついでいる。そして致死率の高い鳥インフルエンザ
もついに日本に上陸してしまったようだ。ところで最近、新型肺炎SARS、BSE(狂牛病)、そして鳥インフルエンザと、動物が媒介する疾病が次から次へと人類に脅威を与えているのはなぜだろう。
それにしても、よその国で発生したBSEに厳しい対応をしていたアメリカは、自分の国で発生すると手のひらを返したように、「過剰反応をせず牛肉を買え」と要求している。こんな勝手な国だから、「大量破壊兵器」があろうがなかろうが、
気にくわない国を力ずくで従わせようとするのだろう。この国のいいなりになって、自衛隊を派遣することが「国際貢献」であるとは、とうてい考えられない。
(2004,1,22)
■ブロードバンド元年
パブリックロードレースも全国に生中継できる。議会中継も現実味を帯びてきた。
2004年。ことしの春はいよいよブロードバンドがやってくる。
こんなに早く実現できるとは、つい半年前には想像もつかなかった。「離島だからこそ必要」と確信し、約2年にわたって運動してきた。仲間を募り、ニーズを調べ、町を動かし、都や国に訴え事業者と交渉し‥‥。そして次第に広がっていった運動はついに実った。いま、何と複数の事業者が普及を競う事態がおきてきている。
私たちがこれからやらなければならないことは、この新しい環境を最大限に生かした町づくりだ。首都東京へ1時間の交通手段を持ち、海にも山にも間近に接することのできる自然豊かなこの島に、ついに超高速の情報伝達手段もそろった。こんな恵まれた環境が他にあるだろうか。すでに、この話を知って生活の場を八丈に移したいという人も出てきているそうだ。農漁業や加工業などの地場産業にも、また流通の分野にも新たな発展のチャンスが出てくるし、新しい事業をおこそうという若者の出現も期待できる。
日本経済はまだまだ厳しい時代が続くだろうが、町政50周年を迎える八丈町は、2004年が飛躍の年になるかも知れない。いや、そうしなくてはならならい。
(2004,1,1)
■異常潮位
漁船繋留場の潮位は岸壁を越えてしまっている(台風襲来直前の八重根漁港)
八丈島では潮位が異常に高くなる現象がいつからか続き、漁港の岸壁の表面近くまで上昇することが日常化しています。このような時に嵐が襲ってきたら大変なことになると恐れていたら、ついに現実になってしまいました。今回の台風15号は、ピークが満潮と重なったため、神湊港では潮位が岸壁を1.5メートルも越えました。そのため、繋留してあった漁船のうち1隻が、後部が岸壁に乗り上げる形になって破損し、そのまま半没したのです。また、漁協の製氷器が冠水して機能が麻痺してしまう事態も起こっています。
ところで気象庁は今日(26日)、東海地方から九州までの太平洋沿岸や瀬戸内海沿岸で、潮位が異常に高い状態が続いていると発表しました。それによると、22日以降、平常時よりも30センチ前後も高い潮位が各地で観測されているそうです。原因は黒潮の接岸や台風15号の影響などが「考えられる」と説明しています。.
しかし、これは八丈島では以前から続いている現象であり、漁業関係者からは岸壁のかさ上げが必要との声も強まっています。そこで私は、本日の議会終了後に開かれた空港港湾都市計画道路特別委員会で、八丈支庁の三木港湾課長に対してこの問題の解決を求めました。原因究明と対応策を早急にすすめることによって、被害を繰り返さないようにすることが行政としての責務だと感じています。
(2003,9,26)
■台風15号の猛威
半没した漁船(神湊漁港:9月22日)
22日午前1時ころをピークに、台風15号は八丈島を直撃しました。最大瞬間風速59.5Mを記録した暴風、豪雨が続き、午前1時には停電が起こり、住民は暗闇の中での恐怖の一夜を過ごしました。朝になり、見回ると、道路のいたるところで倒木が交通を妨げ、屋根をはがされた家も数多く、神湊漁港ではとも綱の切れた漁船が転覆していました。電柱が倒れて電線がぶら下がったままの道路、全壊した民家、ひしゃげたパイプハウス。収穫前の農作物も全滅させられてしまったようです。
こうした中で小、中学校や高校は休校となり、多くの世帯が停電となるなど、22日いっぱい住民生活に混乱が続きました。停電となった商店では冷蔵庫の商品が売り物にならなくなり、また、水源でポンプアップができないので、広範な地域が断水に見舞われました。この断水で病院や老人ホームでは食事作りもままならなかったようです。観光客をかかえているホテルが大混乱しているとの情報もあり、その被害総額ははかり知れません。いずれにしろ1975年(昭和50年)の13号台風以来の大災害をもたらしたことは確実であり、これから町民一丸となって、復旧、回復に全力を上げて取り組まなければならなくなりました。
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(2003,9,22)
■運賃下げれば客は来る
来島客たちで賑わう底土港(9月13日)
台風の影響はあまりなかった今年の夏でしたが、気温が上がらず、暑さを当て込んだ業界の期待は裏切られました。八丈への来島者も伸びず、ほんとうにがっかりです。ところがどういうわけか、9月になってからきびしい暑さがやってきました。いい加減涼しくなって欲しいと、うんざりしている方も多いと思います。
そうした中で、例年なら夏の観光シーズンが終わって閑散となる時期に、底土の港には連日多くの若者が、かめりあ丸から降り立っています。東海汽船の小宮山支店長によれば、毎日平均160人位が来ているそうです。そして、その秘密は、どうやら東海汽船が企画した往復乗船券と1泊2日を合わせて9800円という、期間限定のサービスパックが若い人たちの人気を呼んだようなのです。だから、9月の酷暑はこのお客さんたちへの特別サービスと考えれば、ガマンのしがいがあるかも知れませんね。
それにしても、こうした東海汽船の営業努力は是非今後も続けて欲しいものです。そして、運賃の引き下げが、来島者数の増加につながることを、エアニッポンも教訓化していただきたいですね。
(2003,9,20)
■デポジット終了
1998年9月1日から5年間続けられてきた八丈町デポジットはついにこの8月31日をもって終了することになりました。クリーンアイランド八丈島のシンボル事業として内外から多くの期待と関心が寄せられる中で、この事業は町のゴミ問題、環境問題の解決に向けて大きな役割を果たしてきました。そして、ゴミ問題を解決するためには、ゴミ排出に責任があるすべての人が応分の負担を負うべきことを明らかにしてきたのです。
しかし、やはり全島参加が果たせなかったことが、インパクトを欠き、メーカー責任の追及にいたらなかっただけでなく、この事業自体の存続にも大きな障害となりました。
私は、この事業の計画時からその中心で推進役を果たしてきましたが、このような形で事業を終了することは残念でたまりません。そして、これまで協力していただいたすべての方々に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
(2003,8,25)
■「花」
父が残したソメイヨシノ
スマップがうたう「世界に一つだけの花」という歌がいま人気を集めている。この歌では、いろんな花がどれもきれいで、それぞれのよさがあるのだから、人間も争うのではなく、自分の花を咲かせることに一生懸命になろうよ、といっている。その内容から、今やすっかり「反戦歌」としても定着し、盛り上がる平和運動に利用されている。
ところで、日本では昔から「花」といえば桜をさしてきた。たしかに、3月末から4月にかけて、日本の至る所がうす紅色に染め上げられ、そこに出現する世界は、まさに「春らんまん」のあでやかさである。また、桜の魅力は満開の時だけでなく、その散り際にもあると言われる。パッと咲いてパッと散る、そのいさぎよさが日本人の心情に合うのだろう。「見事散りましょ国のため」、軍歌「同期の桜」にはこんな一節まである。
個人主義と全体主義、平和主義と軍国主義。花の咲き方に人の価値観をなぞらえることはできるが、花には何の罪もない。私も桜は大好きだ。
(2003,4,15)
■このホームぺージが議会を変える
3月議会の開催中のある日のこと。このホームページをめぐって波紋がおきた。というのも、一つの決議事項をめぐって意見が分かれた件について、私はどの議員が賛成し、あるい反対したのかを、このホームページではっきり伝えたのだが、「それはマズイ」「議員個人の名前を出すべきではない」との抗議を受けたのだ。それも、採決の際の賛否の立場を超えて、議員の多くがそのような考えを持っていた。いわく「議長は、賛成多数として議決したのだから、賛否の数、個人の立場は公式なものではない」などと。
私は反論した。「議員たる者、たとえ少数派になったとしても自分の態度表明には責任を持つべきであり、どのような立場をとったかを、有権者にきちんと示すべきだ」と。 しかし、その場では結局、私の方が少数派。先輩議員たちにいさめられるだけだった。
ところが、その場を引き取った議長が、後で他の自治体の動向を調べたところ、やはり各地で同じようなことが問題になっていて、今は、各議員の態度を公表することが常識化しているとのことであった。今回と同じように、インターネットの発達が他の自治体でも議会をガラス張りにすることに作用しているというのである。
八丈町で、議員のホームページはここが“ハシリ”であるが、こうした点でもこのホームページは「議会改革」に貢献できていると感じた一件であった。
(2003,4,4)
■「民主主義」を与えてくれた国
日本が世界で唯一の被爆国であるならば、アメリカは世界で唯一の「原爆投下国」である。太平洋戦争の勝敗がすでに明らかになっていた1945年8月6日と9日。アメリカが投下した原爆という名の「大量破壊兵器」
によって、広島、長崎で約20万を越える市民が死に、さらに多くの人々が傷つき、後遺症に苦しみ続けた。そしてアメリカは、「新型爆弾の実験的投下」との批判を否定し、今もなおその無差別大量殺戮を「戦争の早期終結のための行為」として正当化し続けている。
そのアメリカが今、「大量破壊兵器を隠している」との理由で、イラクを攻撃し、多くの罪のない民衆を死に追いやろうとしている。世界の警察官として、かつては日本を、最近ではアフガンを、そして今度はイラクを「民主化」するのだ。そしてその後には、国連など必要ないアメリカ一国による世界支配が確立する…。
唯一の被爆国日本で大多数の国民が戦争反対を訴えても、「民主主義」を重んずる日本の政権はアメリカにたてつくことなどできない。なにしろアメリカこそ、日本に「民主主義」を与えてくれた国なのだから。(2003,3,19)
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