このページは小宮山万里子が書いています。
2003年3月7日 今、巷をにぎわしている「なんでだろー?」ソング、ご存じですか?これを歌っているテツ&トモさんには、私もお笑いバトルで初めて目にしたときから強いインパクトを与えられました。でも、世の中、なんでだろう?と思うことが多いですよね。それで、処分場問題・なんでだろー?を書いてみました。ご一緒に、なんでだろー♪ と歌いながら読んで下さいね。 管理型最終処分場は、中之郷への建設計画がひとまず白紙になり、どこに作られるのか、と同時に、その形状が問題になっています。屋根がついているクローズド型がいいのか、屋根なしのオープン型がお得なのか、しかし、タイムス記事を読んでも,町長さんの説明を聴いても、いまいちピンとこないのが私たち一般島民の悲しさ。庭にあるコンポストぐらいの大きさならわかるけど、5万立方メートルとか18億円とかになると、非日常の世界の数字なワケです。環境に悪いと言われれば、そんなもんかなーと思うし、お金がかかりすぎるんだと言われれば、そりゃだめだ、と思ってしまう。一体、何がどんなふうに問題なんだ! で、まず始めに、身近な家庭ゴミの行方からたどっていきます。 燃やせるゴミ・・・クリーンセンターで焼却、焼却灰として最終処分が必要 これらの日常ゴミのうち、処分場での最終処分が問題とされているのは、燃やせるゴミの成れの果てー焼却灰です。 ゴミ処理の簡単な歴史・・・
ちょっと前までは、ゴミは永郷焼却場と中之郷処分場で処分されていました。我が家も年末ゴミは中之郷に持ち込み、大きな穴に投げ込みました。穴の中には、燃えそうにないものも、燃やすと有害物質が出るものも、みーんな投げ込まれていました。その後、クリーンセンターが建設され、超高温の焼却施設で、こんなものも
!と思われるものまで燃やせるゴミとして焼却されるようになりました。中之郷処分場は野焼きが禁止され、焼却灰やら何やらが埋められるだけになりました(禁止されてからゴミ捨てにいかなくなったので、最近の中之郷の有様を知りませんが)。 処分場問題が起こった簡単ないきさつ・・・
しかし、環境問題への高まりを背景に、平成11年7月、当時の厚生省から、こうした焼却灰の処分方法に待ったがかかったのです。有害なものも含まれている焼却灰はきちんと管理し、処理せよと。けれど急には無理ですね、ということで、暫定的処置として大田区の清掃工場で処理をお願いすることになりました。だから、現在は焼却灰はそこへ輸送されているわけです。ただし期限が平成17年度までと区切られました。 一部事務組合がエライのは、なんでだろー♪
この時点では、焼却灰を溶かして最終的に処分する灰溶融炉(焼却灰を超高温で溶かして固形化する施設)を大島あたりに建設し、伊豆七島全部の焼却灰を持ち込むことが計画されていました。それで、島嶼町村一部事務組合なるものが、全島を統括するこの計画案の担い手として登場したのです。 ゴミの見積もり量が大きく違うのは、なんでだろー♪
問題の二つめは、最終処分場の処分対象は焼却灰である、という前提が、そもそもの最初から崩れていることです。また建クン情報ですが、事務組合は、15年間で出るゴミ
を埋め立てるのに必要な容量を5万立米と試算していますが、焼却灰だけなら6千立米となる計算だそうです。5万と6千、こんなにゴミの量に差があるのは、なんでだろー♪? 焼却灰以外
の大量のゴミを想定しているからなんでしょうか。この点をあいまいにして、施設の建設費用を試算しても全く意味ないですね。建クンの視察レポートにあるように、焼却灰のみの処理施設である高吾北広域処理センター(屋根付きです)は、灰を安定させるための水の量も少なくてすみ、人手も借りずに機械処理している、つまり建設費用ばかりでなく施設を維持運営していく費用も安上がりになるようです。 建設を急ぐのは、なんでだろー♪
問題の三つめは、17年度までという期限です。これはすでに触れたように、東京都大田区の処分場へ焼却灰を持ち込める期限ということで、最終処分場を作らなければならない期限ではありません。だから、あせって、適当なところに、適当な論議だけで、適当な処分場を作る必要はないはず。とりあえず、ちゃんとした施設が出来るまで、焼却灰だけを当面保管できる場所を17年度までに作ればいい、と考えてもいいのではないでしょうか。それなのに、時間がないと島民を急がせているのは、なんでだろー♪? しかし、そうは言っても、ゴミの問題は奥が深く、複雑なんですね。家庭ゴミだけなら話は簡単ですが、産業ゴミというのもある。特に、離れ小島では、ゴミの輸送経路を確保するのも大変だろうし、経費もかかるし、最終的な処理を押しつけられる自治体としても、出来るだけ安上がりに処理したいという欲求に駆られるでしょう。こんなところから、焼却灰だけではなく、他のものもついでに埋められる処分場、というイメージになってしまうのでしょうか。
臭いゴミにふた、ではなく、自治体や企業にお任せ、でもなく、島が産み出すゴミは、産み出している私たちも、減量に努力しながら、その行く末をしっかり見届けなければいけない。最終処分場問題はそんなことを示しているのではないかと、「なんでだろー?」ソングを口ずさみつつ、私は思っているのです。
2002年11月28日
まだ私が純粋な子供だった頃、たしか当時の文部省あたりから“期待される人間像”なんてのが発表されたことがありました。文部省が期待する人間なんてのは何となくわかると思うので、今さら書きませんが(実は覚えていない)、“期待される議員像”
は、どんなものになるのでしょうか。
この不況の世の中で、性別、年齢制限なし、準備期間がせいぜい半年で投資額も貯金程度、専門性もいらなくて、年収が500万円から1000万円(町議はぐっと低く半分ぐらいかな?)の仕事がある、と言ったら、おどろく人は多いのではないでしょうか。本当にそんな仕事があるのでしょうか。 ハイ、ありますね、答えはもちろん議員さんですね。 要するに、議員さんは、当選してしまえば自己裁量と権限が出来てしまうわけ。こんなところには監視が必要です。建クンにも必要です。
■小宮山万里子の選挙戦 小学生の時広いと思っていた学校の校庭に、大人になって立ってみると、 意外に狭くて拍子抜けした、こんな経験ありませんか。(もっとも、八丈島の学校はみな広々としているのでちょっと違うかもしれないけれど。)これは、子供の目の視点と大人の視点の差がもたらすものですが、今回の選挙戦で私が経験した事も、投票する側からされる側へ、という視点の違いを実感することでした。
個人演説会で私も応援の弁。
実感その1 他候補は…戦友だ 選挙カーで島中回っていると、当然、他候補とニアミスします。また何度も他候補の選挙事務所の前を通ります。皆さんも聞いた事あるでしょ、「○○候補のご健闘をお祈りします」なんてエールを送る言葉を。アレ、本当に心からのエールだったのです。そりゃ競争相手でもあるわけですよ。でもその前に、同じ選挙という闘いを共有しているいわば戦友、という感じなんです。「オー、君たちも頑張っているね、我らも負けないぞー。最後までやっていこうねー」っていう思いでした。
実感その2 どんな声援でも…ウレシー 選挙カーには、運転手以外4人が乗れます。候補者が前の座席に陣取り、後ろの左右は島の人に顔が売れている人が乗る方が好ましい。というのも車から手を振ったり、呼びかけたりするからです。ウグイスさん(他に呼び方ないものかねー)は真ん中、になります。で、建クンはずーっと手を振りっぱなしで、後部左右の有名人は、やはり適宜声をかけたり手を振っていたりする。そんなとき、誰かが、会釈したり、手を振り返してくれたりすると、もう、すごーくうれしい。たとえ、その人が他候補の応援団長であったとしても、私たちの呼びかけに応えてくれたという、それだけで、心が温かくなってくるのです。
実感その3 応援してくれた人に… 感謝、感謝 選挙には、結構人手がいります。選挙カーには、運転手、ウグイスさん(他に言い方ないのかって!)、同乗者。車を連ねていく場合もあります。選挙事務所(ウチの場合自宅でした)に待機している人。お昼や夕飯の準備をする人。他にもなんやかや。これらの人たちは、必ずしも建クンの政策に全面的に賛同しているわけではない、政策を超えた何か、に賛同してくれた人たちなのだと思っています。義理と人情、かもしれない、可能性、なのかもしれない、目新しさ、かもしれない。でも、みんなの貴重な時間をさいて、応援し、手伝ってくれたその力が当選に結びついた、と心底思い、本当に感謝しています。ありがとう。
実感その4 獲得票数283は…重い 20日午後8時から選挙結果がわかるまでの時間は、ずいぶん長いものでした。建クンはどちらかというと、下馬評では当確、とおだてられていました。しかし、選挙通の間では、当確を言われているものほど危ないのだそうです。複数の候補者の間で迷う有権者が、当確と言われる候補者よりも他の候補者を選択してしまうからだそうです。私は、受かってしまえば補欠も上位合格も同じ、という受験感覚だったので、当選しさえすればいい、と思っていたのですが、かなりな人たちと朗報をひたすら待つ時間を共有するうちに、だんだんプレッシャーを感じるようになっていったのです。みんなの労に報いねば、という感覚に捕らわれていきました。 結果は283票、18人中12位。当選したけど、なんだかなー、という雰囲気がどこか漂っていました。これ、前にも経験した事あるぞ、小学校の分団リレーで、最後を走ったわが息子のせいで逆転されてしまった時と、なんか似ているぞ。他の役者(選手)は全部主演級だった、アカデミー賞は確実だった、主役(息子)1人がミスキャストだった! でも冷静に分析すれば、今回の選挙で新しい波は確かに起こったのです。政策を掲げた選挙を訴え、リーフレットを作り、ホームページを立ち上げ、選挙期間中も立ち会い演説会をやり、政策を訴える事を心がけてきたことなどが、有権者にも他候補者にも違う視点をもたらしました。しかし、建クンの起こした波は、建クンよりも斬新さを感じさせる他候補者を押し上げてしまった、建クンの獲得した283票は、後援会長・菊池國仁氏や応援団長・喜田孝氏の力があって初めて実現したものだったのです。凝縮された283でした。そして、建クン自身の票を獲得していくことは、次の課題として残されました。
実感その5 楽しかった、得をした 國仁さんは、ひとを泣かせるので困ります。何でもないような事でも、國仁ワールドでは心を打つ出来事に変わってしまう。沖山光政さんご指摘のように、彼は、言葉を超えた心情をショメ節に託して歌うのでしょう。今回、國仁さんは、建クンにかけた思いをショメ節にのせ、何度も歌ってくれました。 ♪よくか 生きたれ〜が 長生きし〜たれ その声、その節回し、その気持ち、すばらしい!の一言です。ここで他陣営に差を付けましたねー。 孝さんは、人を笑わせてばかりで困ります。しかも、島弁がむずかしィー。微妙な情勢分析を話されても、ちょっとねー。わっからなーい。でも、おかげで、立ち会い演説会は肩のこらない楽しいものになりました。
光政さんは、演説が立派すぎて困ります。これでは候補者の影が薄くなってしまいます。しかし、立ち会い演説会の時は見直しました。最初の挨拶で状況を的確に決めました。でも、もっと感心したのはそのあとです。聴衆から出された喫煙問題について、あれだけ気持ちの良い答えを即座に出した事です。私だったら固まっていたでしょう。ご立派! 裏方に徹した女性の皆様、お茶のみ話はいつだって楽しい。この機会に知り合った方々もいますよね。またお茶のみをやりましょう。でも、女性が表に出て行く選挙戦、というより裏も表もない選挙戦もやってみたい。とにかく、女性2人が議員になったんだから。その陣営では、女性は裏オンリーではなかったはずだから。議会の傍聴に行き、それをサカナにお茶のみ、なんての、どうですか。
ここだけで教えちゃうウラのウラの話 これだけの面々が集まったのだから、おもしろい話はたくさんあります。その中で、選挙カーにまつわる話だけお教えしましょう。他の話も聞きたい人は、小宮山たけし後援会に入ってからね。
有名人は大忙し 國仁氏は、玉石垣で名高い大賀郷大里地区が地元。そこに選挙カーが行くと、彼がマイクを握ります、「國仁でーす、皆さん聞いていますかー、嫁にもっと優しくするから、たけしさんをお願いしま〜す」。こんな調子で國仁連呼を続けていると、そのうち奥さんから携帯コールが・・・。「あんまり大里で、國仁、國仁言わないように」。 孝さんの地元は、三根洋望、赤金、中平、その他お年寄りの住んでいる全地区。実は「たけし」と「たかし」は紛らわしく、連呼で間違える事もあったりして。そこを逆手に取り、孝さんはマイクで呼びかけます「‘たかし’と‘たけし’を聞き違いのないように」「小宮山たけしは無名ですが、小宮山才次の息子です。昔の名前で出ています」「小宮山たけしは皆さんの、手足・ハダシで働きます」。そうすると、そこかしこで次々と人が顔を現し、孝コールに応えるのです!ウーン、候補者はどっちだっけ?!
有名人は仕事熱心 こうして、手を振り、マイクを握り、宣伝活動に励んでいても、島中くまなくめぐっていれば、自ずと目に入る作物・畑。農業者としての生き様が自然と発揮され、二人で評定が始まったりします。「ここは、誰の畑どー?」「よけロベだのー」。こんな会話がマイクを通して外に流れ、どういうわけか、他候補から電話をいただきました、「國仁さんと孝さんの話がマイクで聞こえるそうですよー」。島の選挙は、のどかです。
200 2年8月 30日 「朝早くからお騒がせしております。◯◯の妻でございます。今回の選挙にはどうぞ◯◯をよろしくお願いいたします。」 こんな選挙カーから振り絞るせっぱ詰まった声を聞くたびに、思ったものだった、「ああご苦労様、やだねーあんなの」 だいたい私は、学校の先生と議員先生にだけはなりたくないと思っていたのだ。ところが現実は無情にも、学校の先生ではないけれど似かよったことをしているし、自分が立候補するわけではないけれど、立候補者の妻なんてもっと悪いではないか! こう思うのはどうやら私だけではないらしい。というのも、建クンが立候補することを知った多くの方達に、「奥さん、たいへんだねー」とか「反対しなかったの」とかよく言われるからだ。 実は、私は反対した。しかし、建クンの決心は固かった。固いばかりか、去年の8月、私に一ケ月近くも海外に行く自由をくれるという懐柔戦術(?)までとってきたのだ。こうなると私も考えを変えねばならない。どう変えるか、そうだ、選挙を楽しめばいいんだ! 悲壮感を持つと人は苦しくなる。夢を持つと人は生き生きする。建クンは50代にして新たに町づくりの夢を見ようとしている。ひとりで見させてなるものか、私にも見させて。そして、このページを見ているあなたも一緒に見ませんか。夢といっても白日夢にしない努力はしなければね。 ということで、候補者の妻、というよりも、自分と志を同じくする人と一緒になって選挙戦に臨む、と考えることで、“妻の大変さ”を乗り切った私でした。乗り切っていないことはただ一つ、選挙期間中の車からの絶叫をどうするか、ということ。今秘策を考えていまーす。(良い案があったら掲示板に書き込んでね)
2002年7月10日 一般に文というものは書いた人の思惑通りには読んでもらえません。書く方も、読み返してみると解りにくかったり、同じ言葉が何度も出てきたり、表現が稚拙だったりして愕然となることがよくあります。パソコン上の文章は私も苦手で、読んだすぐから中身が頭を離れてしまいます。しかし、頭に残らない最大のものは、政治パンフ、リーフレットの類ではないでしょうか。どの政党、どの個人のものも違いがわかりにくい、みんな同じに思えてしまいます。地球にやさしい、教育や福祉の充実、地域の活性化・・・似たようなはやり言葉のオンパレードとしか受け取られません。 で、このホームページにリンクしてくれた方なら、たぶん建クンのリーフレットはご覧になっておられるでしょう。心惹かれる、あるいは記憶に残るキャッチフレーズはありましたか。エッ、何も覚えていない、これまた失礼しました。いえいえ、無理もありません、私だって作製に関わっていなかったら、ナーンも覚えていないでしょう。(まだリーフレットを目にしていない方、あるいはすっかり記憶から消えてしまった方は、この小宮山たけしのWebSite、トップページにいろんなキャッチがあるので、見返してみてね) そこで、ただお題目を唱えているんじゃないんだよ、ということをせめてこのページに通りすがった方にはご理解願いたくて、私なりのアプローチを試みました。短い言葉に込められた建クンの思いの一端なりともくみ取っていただけたら幸いです。
住民が主役。行政は脇役。−名脇役が主役を活かす− 私は映画が大好きですが、皆さん、何を基準に映画を見ますか?ストーリー、ジャンル、監督・・・しかし一般的にかなり大きいウエイトを占めるのが主役のように思えます。最近のテレビドラマなど、木村拓哉が主役というだけで視聴率がとれるようです(しかしこの前終わったキムタクドラマはつまらなかった)。たしかに主役のキャラクターは相当大きい要素です。しかし、映画のおもしろさに奥行きを与えるのは、脇役、ですよね。誰が主役かわからないほど脇役が充実していた映画「7人の侍」(黒沢明監督)、寡黙の小さな剣豪、宮口清二なんか実に良かった。脇が主役を喰ってしまう場合もあります。古い話になりますが、人気絶頂だった萩原健二が主役のドラマ「傷だらけの天使」は、「兄きぃー」といいながらショーケンを追っかけていた水谷豊が注目を集めました。まあ、脇役を活かせるというのは脚本が優れているということだけどね。 で、本筋にはいると、例えば建クンの中にこういったイメージがあった、民間が中心になってやる企画は1回2回はおもしろいものがやれるがあとが続かない、行政主導でやると継続性はでるが、予算を消化するだけのおもしろみのないものになってしまう、民間の企画力や創造力を引出し、参加を促すような行政運営が出来ないものか。つまり、住民に主役(日の当たる役割)の場を提供し、企画そのものに華を与え、行政は脇役や裏方として運営を支える、きめ細かい脚本を作っていこうというものです。ポイントはサブタイトルの「名脇役が主役を活かす」にあります。 ちなみに、この「住民が主役」は最近はやりの「住民参加」とは異なります。後者の場合は行政主導の活動に一部住民も入れてやるよ、といった感じかな。本来、行政は住民のために仕事をするもの、今まで住民は様々なやっかいごとを行政のプロにお任せしていたのです。ところが現在は、問題が日常的というか根元的になり、誰かに任せておけばいいというわけにはいかなくなっています。住民の側も、それぞれ得意分野の人がボランティア活動しなければならない、せずにはおれない、そんな時代です。住民側と行政との新しい関係を作っていかなければなりません。 しかし、住民と一緒に何かやるって、行政の人にとって実にめんどくさいでしょうね。行政だけでやった方が速くできるからです。例えば、私は料理(といえれば)を1人で作っています。夫にも子供にも一緒に作らせる試みに失敗しました。一時期の大変さを我慢できなかったのです。誰かに何かをさせるって大変なんですよ。だからせめて、自分勝手な主役にならないようにお互い気を付けましょう。落ち目の、ギャラがやたら高いわがまま俳優って一番やっかいですよね。映画やドラマは全員のチームワークで作るもの。主役はその人生にたまたまスポットが当てられただけであり、それぞれの人生を刻んでいるその他の出演者も重要性は変わらないと、ある脚本家も言っています。 ということで、台詞のない群衆や、二言三言のその他大勢の出演者にしっかり配慮した立派な脚本をお願いしたいですね。
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