このページは小宮山万里子が書いています。
■ 今も悲しい「日本の素顔」2006年 1月18日
昔、テレビが我が家にはじめてやってきた頃、NHKで「日本の素顔」というくらーい番組がありました。社会的問題にさほど関心がなかった我が家でしたが、毎週一家4人で熱心に見ていました。そして見終わると、くらーい気持ちになり、みんなでため息をつきあったものです。もの悲しいテーマミュージックは今でも耳の底に鳴り響いているものの、実は内容はあんまり覚えていないのだけど、そのころ頻繁に起こった炭坑事故とか、まだまだビンボーでヒサンだった、ヨースルに「日本の素顔」を、これでもかとばかりに見せてくれたわけです。 小泉は3世議員である。祖父に当たる又次郎は元は波止場人足の手配師だったそうだが、小泉家の伝統なのか、「期を見るのに敏」で、逓信大臣にまで上り詰めた。この祖父や、純一郎の親父に関しても話題に事欠かないが、まあ、純一郎以前の人のことは、ここでは問題にしない。問題は純一郎の過去だ。ロンドン留学がとても留学といえる代物でなかったことは、新聞報道でうっすら覚えている人もいると思うが、事実はさらにひどい。 「日本から来ている留学生にとんでもないのがいる。慶応の学生だが日本で婦女暴行で捕まり、そのほとぼりが冷めるまでこっちにいるというのだ。なんでも、父親は二流の官庁の長官をしているので、警察には睨みが利いたらしい。それで事件をもみ消して、息子をこっちに寄こしたというんだ」(57頁)。ロンドンから来た人が筆者・藤原氏に語ったことだが、この「とんでもない慶応の学生」が小泉であるのは「まちがいない」(ここんとこ、長井秀和の語調で)。 小泉が会長だったサークル「慶応横須賀学生会」は、「地元横浜の倉庫をダンスホールに改装して、OLや女子学生を呼んでダンスパーティを行っていた。そして、横須賀以外に『出張』するときには結城純一郎と名乗り、レイプを表す隠語として“やっつけようか”まで使っていた。」(76頁)そうだから、このサークルが、先年集団婦女暴行事件を起こした早稲田のサークル「スーパーフリー」のようなものであるのも、また「まちがいない」。こうした「経歴」をもつ男がロンドンでまじめに勉強するわけがない。はたせるかな、在籍のみの修得単位ゼロという有様。経歴では「慶応大学卒。ロンドン大学政治経済学部留学」となっているが、単位ゼロでは「遊学」にすぎず、学歴詐称なのに、なんで政治家、やめないの? 小泉は、その過去の片鱗を今も残している。小泉の番記者の間では(どころか、国際舞台でもこの種のジョークを言うというから、言葉を失う)下ネタジョークの連発らしい。例えばこんな具合 「鳥はいいよな」「どうしてですか?総理」「いつでもヤレるからだ」 これが郵政民営化をめぐって自民党内で激しい攻防がくり返されていた昨年夏の時の発言だというのだから、世のスキモノ人間もびっくりだろう。61頁には、他にも下ネタ発言が多数紹介されているが、ここにはタケシ放送コードに引っかかって、残念ながら掲載できない。興味のある方は原本でお読みください。しかし、こんな下品な男が、なんで日本のトップにのさばれるの? 小泉内閣を彩るインチキ集団の面々 その1 セコさはピカ1・竹中平蔵総務大臣 竹中平蔵は「小泉改革の切り札」で、「郵政改革の中核」で、「外資の手先」とまで評す向きもいるが、その本質は、せいぜい「外資の使い走り」&「小泉の聖域だらけの改革の使い走り」にすぎないそうだ。小難しい批判はさておき、次のことを知れば、経済はド素人の私らでも、その指摘の正しさは実感できるというものだ。 慶応大学助教授時代の平蔵先生は、「1月1日に日本に住んでいなければ、住民税は払わなくてもよい」と同僚たちに吹聴し、ハーバード大学の客員准教授の地位を利用し、日本とアメリカを半年ごとに往復することで戸籍の移転を実行し、税金逃れをしていた。履歴は次のようだ。1989年7月米国転居 1990年4月東京転居 1992年7月米国転居 1994年6月藤沢市転居 1994年10月米国転居 1995年5月藤沢市転居 1995年11月米国転居 1996年3月藤沢市転居 「果たしてこれが、税金を扱う監督官庁において、その最高責任者がする蓄財術であろうか?こんな幼稚な手口が、経済学者が考える節税法だろうか?」(200頁) ったく、いくら給料をもらっていたか知らないが、住民税を浮かすために汲々としている有様には、あきれるというか、笑える。 その2 マンガ・命、麻生太郎外務大臣 「政界一のマンガマニア」麻生太郎の一週間はマンガ浸け。月曜日「ジャンプ」「スピリッツ」水曜日「マガジン」「サンデー」木曜日「モーニング」「チャンピオン」「ヤングジャンプ」。まだまだ続くぞ、「ビッグコミック」「オリジナル」「スぺリオール」「ビジネスジャンプ」・・・と、ほとんどわたしゃ知らないモンだが、マンガ雑誌を週に10〜20冊!!これは、選挙期間中といえども例外ではないらしく、選挙カーに山積みして読んでいたと、本人、えらく誇らしげである。留学期間中も週2で送ってもらい読んでいたと、ますます誇らしげである(275頁)。これでは吉田茂も墓場の陰でさぞ憂えているだろう。麻生太郎の頭を占める大半は、日本の行く末、じゃなくて、マンガの続き、であるのは、またまた「まちがいない」。 その3 真打ち登場ー学歴詐称でポスト小泉安倍晋三官房長官 安倍晋三は、学歴詐称においてこそポスト小泉の第一人者だった。公称「南カリフォルニア大学政治学科留学」ながら、政治学科在籍の記録はなく、だから当然政治学の単位など取れるわけもなく、単なる聴講生としてお手軽講座の単位を取っただけのマユツバ学歴なのだそうだ(223頁)。こうしたあやしい「留学」の謎の正体は、将来を約束された、金あり、コネありの政治家2世、3世が、履歴のハクを付けるために外国にいく「遊学」なのであり、一方大学側は、こうやって愚かな日本人からたっぷり遊学費用をいただいているのである。しかし、 安倍は、遊学先で政治学の代わりに身につけてきたものがあった。それが、今の安倍を支える反共思想であり、差別思想であるという。 しかし、私にとって一番大きな謎は、人格は悪い、しゃべり方は最悪、男前も岸信介を彷彿とさせるタレパンダ、なのに、マスコミが「女性に人気」とか、「ダンディー」とかしきりに言うことだ。エッ?自民党の中では、っていうこと?であっても、やっぱ、ぜんぜんわっかんない。 賤民政治家に賤民市民 いつのことだったでしょう、この種の倫理観・道徳観に関わるスキャンダルが、政治家の首が飛ぶほどの重みを持っていた時は?それが、最近では、カルく忘れてしまったり、テキトーにごまかされてしまうのはなぜなのでしょうか。 世の中では、「振り込め詐欺」や「リフォーム詐欺」、はてまた「耐震偽装建築問題」など、ペテン、インチキ、だましのオンパレードです。でもこれって、国の大本をつかさどる首相、大臣がペテン師、インチキ集団であることの必然の帰結といえないでしょうか。 倫理観なく私益の蓄財に励む政治家、官僚、業界、国民、こうした姿を著者・藤原氏は「賤民資本主義に堕した」と喝破しています。政治の腐敗堕落と民衆の腐敗堕落は鏡の両面であり、実は小泉集団をあざ笑っているどころじゃないんですよね、私たち。 それにしても「小泉劇場」は、演目ますます盛んです。 つい先日も、テレビニュースで、例の猪口邦子のハデハデ・ケバケバドレスや片山さつきの時代錯誤・聖子ちゃんブリッコヘアーをヤユったお笑い演劇が映ったから、どこの劇団や、と思ったら、直後に武部勤幹事長の顔が出て、見ている連中も自民党の面々。なんと、自分たちで自分たちをあざ笑う演目を作り(武部プロデュースと言っておった)、それを議員連中が大口開けて笑って見ていたというわけでした。政治パロディーを得意とする劇団「ニュースペーパー」は、今後何を演じればいいのでしょうか。とても心配になりました。 追記 藤原肇著「小泉純一郎と日本の病理」(光文社)は、一冊を町立図書館に置いてもらいました。本来なら、買って読んで広めてもらいたい本ですが、とりあえずは図書館から借りて読んでくれればうれしいです。
■ ハザカプラント・・・命を紡ぐゴミ処理施設2005年 12月18日 微生物の力でゴミを堆肥にしてしまう施設を作った人がいる・・・ このことを初めてきいたのは島民大学講座での小泉武夫氏からでした。 施設そのものの作りは簡単、いろんなゴミをぶち込んでも平気、正真正銘の有機肥料が出来あがる・・・ 小泉氏の話はどれもおもしろかったのですが、このゴミ施設の話はとりわけ印象に残っていたのです。
第二の出会いは、「バクテリアを呼ぶ男」(地湧社)という本の中でした。誰もが当たり前に思っている「1+1=2」という数式にも疑問を投げかけた葉坂勝氏の、バクテリアとの邂逅と友情(ていうか、愛?)が、痛快に、豪快に語られています。 「今のは大変いい質問です。その説明もせずに今まで講義してきたことをお詫びします。糞は原則的には汚くありません。なぜ汚いと言うかといえば、それが体外に出て空気にふれたとたんにいろいろな雑菌がつきやすく、すぐに腐敗していきます。 同時に不可解な匂いを発しています。それで汚いと決めつけているだけです。一方、このように糞に雑菌がつきやすい性質を利用して、その菌に食べさせようと作っているのが浄化槽なんです。糞は原則的には汚くありません。 」
疑問氷解した葉坂氏は、その後の筆記試験で、数式も漢字も一切使わず(氏は、なぜ1+1=2になるのかを答えてくれない学校教育を、拒否しました。それで、漢字も数式もわからないのです)、「世の中の原理原則と摂理をもって物事のプロセスを噛み合わせていけば、答えはこのくらいの数字」と正解を導き出し、合格したのだそうです。 三度目の出会いは、・・・・直接会いに行きました。10月31日、議員さん3人と共に伺いました。門外漢で理科系オンチの私めがのこのこくっついていった目的その1は、葉坂さんその人とお会いすること、目的その2は、わが八丈島にもおんなじものを作りたいとのラブコールをお届けすること(おまえだけが思ってどうなるのか、と突っ込まないで) 。それで、やっぱり実物をこの目で見たいというのが、目的その3。 で、どうだったかというと、・・・葉坂氏は、予想通り魅力的で丁寧な方で、また(株)「県南衛生工業」は対応も外見も、実に立派な会社でした。しかもこの敷地は元は岩山で、葉坂氏自らが巨大ユンボやショベルカーを駆使して開発したっていうんだから驚きです。ハザカプラントと書かれた芸術的な門(これも葉坂氏の作品だそうな)をくぐると、そこは花が咲き乱れる公園のようなおもむきの世界。これはプラントが産み出した有機堆肥の作品群。そして、ゆるやかな坂を上り詰めた先に、「県南衛生工業」と「生物資源利用研究所」とビニールハウスのようなプラントがありました。 プラントといっても、中には大げさなものはなーんにもありません。深さ3m×幅2m×長さ100mのレーンが二つ並び、その上をキャタピラーのような機械がゆっくり移動していました。仕組みもシンプル。このレーンの入り口に廃棄物を入れる→スクープという攪拌機がレーン内の廃棄物を攪拌しながら1日4m奥へ運ぶ→100m÷4m=25日後にレーン出口には完熟堆肥誕生。こうやって、給食や食堂の残り物、人間や家畜の糞や尿、魚のあらや貝、汚泥、草や木、等々、自然から生じたものはぜーんぶ有機肥料となってしまう。そして、こんなマジックのようなことをしてくれるのは、バクテリアさんなのだそうです。 ところが、一つ問題がある。このバクテリアさん、有能でとっても働き者なんだけれど、気むずかしい。レーンの長さを短くして設備を簡単にしちゃおうとか、堆肥をバカスカ作ってどっかに売りつけて一稼ぎしようとか、規定量以上のゴミを突っ込んじゃえ、などというヨコシマな考えをすぐに見抜き、ストライキを起こしてしまうそうです。つまり、自分にあった快適な環境を要求するわがままモンなんですね。 こんな具合ですから、わが八丈島の、人や牛、鶏の糞尿とか、ムロやトビのアラだとか、今始末に困っているもの、ぜーんぶを本物の堆肥に変えてくれるこのハザカプラントを作るために、一番必要なのは、お金や場所じゃない、大切なことは、バクテリアと、「バクテリアを呼ぶ男」葉坂氏の信頼を得る私たちの心持ちなのだ、と感じました。 「自然界の恵みを受けさせて頂いた後に出てくる残渣物、我々の力になった後に出てくる廃棄物を、廃て棄てるなんて、間違いもいいとこです。昔は、自然界に感謝して、これはみな土にお返ししたものです。これを日本国が始まって以来、何百年何千年と忠実に続けて日本人は生きてきたのです」・・地域資源循環型システム・ハザカプラントの神髄はこんな言葉に表れています。自然が産み出したものをいただいて、命と社会が生かされる、その活動の証である残渣物を、自然界の生き物バクテリアによって分解し、自然に返す、そしてそれはまた命を育む・・・ハザカプラントは命を紡ぐプラントなのです。 現在、このプラントは、北は北海道から南は鹿児島まで、11カ所に作られています。そして、次の第四番目の出会いは・・・八丈プラントがウン番目の名乗りを挙げる、その日、です。
2005年 5月 3日 「民族の世界地図」という本を読んだ。世界の言語、民族、宗教などを概観し、過去・現在の対立の構造を簡略に解き明かしている。世界中どこにも平和なところは少なく、どの国も殺戮と強奪の過去を持ち、いまだに争いの火種を抱えていることがわかる。 日本は・・・ほんとラッキーなことに、国内的には宗教や民族の問題を抱えていない。アイヌ弾圧の歴史はあるが、アイヌが圧倒的少数者かつ弱者であったため大きな矛盾を現代に持ち込まなかった。しかし、、そんな日本にも、アキレス腱があったんだ。中国・朝鮮問題である。 戦後60年、一般的な日本人の心情としては、もはや「戦後」ではなくなっていたのかもしれない。「憲法改正問題」もその心の空隙をついて出されている。アメリカから押しつけられたものだしィ・・・、日本の現状に合わないしィ・・・、言葉だってなんか変だしィ・・・、新しい国際貢献もしなきゃなんないしィ・・・、そう、戦争は絶対いやだと思っている人だって、やっぱ日本人の日本人による日本人のための憲法があっていいんじゃなーい?なんて、ふと思ってしまうかもしれないのだ。 なんだかんだ言っても、国内的には平和を満喫している私たち日本人は、中国での反日デモ、韓国ノムヒョン大統領からの批判という強烈なダブルパンチをくらった。エッ、なんで、なんで?トニー・レオンもジャッキー・チェンも、ヨン様だって大ファンなんだよ、あたしたち・・・。あわてて、いろんな人がいろいろと中国・韓国の現状を調べ、分析し、意見を述べている。私も初めて知ったよ、「愛国教育」や「愛国無罪」なんてものを。昔から韓国の国定教科書には、「竹島」は韓国のもの、としっかり書かれていることも。なーんだ、そのせいか、中国のデモは。政府のやらせなんだ、不満のガス抜きなんだ。韓国だって、自分たちの教科書にはちゃっかり書いて、ずるいじゃないか。 あるいはまた、“いや、独立運動記念日前という時期が悪かった、日本にそれほど深い魂胆などないんだ”、とやさしく言ってくれる韓国人の主張に、そーなんだよ、中国も韓国も考えすぎなんだよ、と慰められた。 ところが、ところが、である。私は日本の事実も知ってしまったのだ。 まず、採択率0.1%に満たないと言われている問題の扶桑社の教科書の、その採択校。少数の私学と養護学校の他に、2003年開校の愛媛県立中高一貫校3校と今春開校の都立中高一貫校( 白鴎高校附属中学)が入っていたのだ。これらの中高一貫校は、公立学校の威信回復をかけ設立された学校である。石原知事はことのほかこの学校に肩入れしていたなー。そしてこうした教育行政のトップ・文部科学相は、中山成彬氏。まさに、真打ち登場、なのだ。 NHK受信料不払い運動に拍車をかけたのは、NHK幹部と政治家との癒着問題。予算を通してもらう代わりに、政治家に番組の事前検閲させていた(いる)と言われる。その渦中にある政治家が 安部晋三氏と中川氏だが、彼らは「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」のメンバーで、この会は、扶桑社の教科書を作った「新しい歴史教科書をつくる会」を強力にバックアップしている。そして、中山大臣は、なんとこの「若手議員の会」の副代表を務めていたそうだ。 そういえば中山大臣はこんなことを言っている。「先の大戦(太平洋戦争)の敗戦のショックが大きかったことと、戦後のマルクキシズム、共産主義の影響で、日本の戦前は非常に悪かったという歴史観がはびこった。日本は伝統と歴史があるのに底の浅い国になってしまったなあ。民族の歴史を大事にすべきではと思う」(朝日新聞)。 かてて加えて、ここ数年の日の丸・君が代問題。お上の言うがままの教員作りをかくも強引にやっている理由は、こんなところにあったのか。「複眼的歴史観こそ必要」とか、「『つくる会』の教科書と他の教科書と両方を使って授業をしたら」などという意見は、この現実の前にふっとぶ。一体誰が教えられるの、偏向教師って、処分されるよ。第一、少ない授業時間と雑用に追いまくられている中で、そんな余裕もないんじゃないの。 ドイツの例と比較して、“日本だって、10年前、村山首相が立派に侵略の歴史を謝罪した。それなのにドイツは許され、日本が非難されるのは、演出が下手なんだ”、なんていう見解もある。アジアの人には知らせたくないな、この意見。“演出でごまかせ、うまく立ち回れ”と言っているのと同じにきこえる。それに、いつもは、日本の革新運動をだめにした責任者として非難し、名前も消えてしまった社会党・元党首村山氏の「謝罪発言」に、小泉首相やその他大勢がすがりついているなんて、滑稽だ。反省しているなら、自分の言葉でしっかり謝んなくちゃ、やっぱだめでしょ。 中国・韓国の皆さんは、この危険な日本の現実を、平和ボケしている私たちに教えてくれたことになる。本当に今、危ういときなんだと思う。誰か一人の政治家の軽はずみな言動で、あるいはどこかの団体の謀略的行為で、60年かかって築いてきたものが一瞬にして崩れるかもしれないんだ。過去の戦争はみんなそんなかんじで始まっている。世界中が民族と宗教のしがらみで、憎み合い争っているそんな時に、おかげさまで国内的には「平和」に暮らせている私たち日本人。あらゆる宗教・文化を吸収しアレンジしてしまう八百万の神、万歳、だ。また、自分たちの残虐行為をすぐ忘れてしまうノー天気さは、原爆を落とされても東京大空襲を経験しても、決してアメリカ人そのものへの憎悪に向かわないノー天気さでもある。このおおらかさも、嫌いじゃ、ない。そんな私たちが、昔のように足下をすくわれないように、アジアからの警告に謙虚でありたい。 それにしても、中国・韓国のあの若者のエネルギーがうらやましい。日本の若者やーい、なに考えているんだぁーい・・・。 ところで、子供たちの学力の問題に関して、最新の調査で少し上向いたとされたが、何を学力と呼ぶかは議論のあるところだ。で、基本の読み書き計算に対置させる形で、いつも「考える力」とか「創造力」とか「応用力」が言われる。両者が代わり番こに強調され、「ゆとり」と「詰め込み」の振り子が揺れる。今回、中川氏のような強烈な人物を登場させた背景には、短期間の軌道変更という事情もあるだろう。 そこで一節、波田陽区のメロディーで。 ゆ・と・りの教育で〜は子供たちーの学力が、ぜんぜんつかない、世界でも、順位をおとす、だから、な・か・や・ま文部大臣、「詰め込みよ〜りたたき込み」、「お国のため〜の人材育成」って、言うじゃな〜い。 (ジャジャーン) でも、世界に通用しない、考える力のない子作っているの、あんたたち文部科学省と教育委員会ですから。残念!!
■ 町長選、がんばったんだけど・・・1798名の皆さん、応援ありがとう 200 5年 1月26日 アメリカ、フロリダ州にブッシュ大統領再選のキーパーソンがいるという。心臓発作の後遺症の脳障害で、15年間昏睡状態の女性・テリーさんだ。彼女は、ブッシュ大統領および共和党の最大の支持基盤であるいわゆる宗教右派と呼ばれる人たちのシンボル的存在となっている。彼女の命を支えるチューブは、夫の訴えを受けた地裁裁定に基づき2度外されたが、「人為的な死」に反対する宗教団体の圧力を受けた共和党の力で、戻された。意識を回復することのない肉体だけが、生命維持装置によって生かされ続けることの是非には多くの論議がある。だが、そのテリーさんの41歳の誕生パーティーを主催した地元の看護師はかくのごとく共和党の判断を讃えているという。 「命は神がおつくりになったもの。人が殺してはならないのです。(地裁裁定を覆す停止命令を下した)知事は立派な仕事をしました」 この話を新聞で読み、私は改めてよく言われる言葉をかみしめました。「一人を殺せば殺人者だが、たくさん殺せば英雄だ」。目の前の一人の命の大切さは言うまでもありませんが、この看護師さんは、ブッシュ政権下のアメリカが、例えばイラクで奪っているたくさんの命については、どう答えてくれるのでしょうか。 政治の世界では、またこんなことも言えるように思います。一人のため、一企業・特定団体のためにつくす(口利きをする)政治家には票が集まるが、みんなのため、全体のため、将来のためにつくす政治家には票が集まらない。 さて、今回の町長選、「沖山芳清」という人物に巡り会い、知れば知るほどその能力、資質に魅入られ、この人こそ町を変えられる町長だとの確信のもとに頑張りました。まっ、結果は皆さんご承知の通り。大差で負けました。しかし、負けた結果、やっと言いたいことが言えます。この際だから、言ってやるぞ!負け犬の遠吠え、っていうやつです。 ふつう、選挙において現職と新人がぶつかれば、現職は大きな失敗をしていない限り圧倒的に有利です。だって、だれしも危機に追い込まれなければ、生活変えたくないですから。現職なら名前を売る機会も多いし、仕事上の利益を受けたいとか、不利に扱われたくないと現職にすり寄ろうとする人は思想信条のずっと上をいっちゃっていますから、何を言ったって現職支持は揺らがないでしょう。唯一、現職の不利は、やったことの不備や実現出来なかったことを責められること。新人はその点を言うつもりなら、無責任になんでも言って、責めることが出来ます。 4年前の選挙戦では、現町長はこれをしっかりやりました。「開かれた町政とは名ばかりの美辞麗句、理想論だけでは島は生きてはいけない。00町長の4年間は・・・計り知れない経済のマイナスをみた」そして「島には島の政治手法が必要で、予算獲得は最重要課題だ」。で、「私が22年間の議員生活の中で培った中央の友人・知人とのパイプは、予算獲得にも大きな力になる」とこう続くわけです。 さて、この4年間、町長の太いパイプは島にお金をもたらしてくれたでしょうか。現実は、町の予算は大きく減り、観光客も人口も減り、この4年間こそ「計り知れない経済のマイナス」に見舞われています。それなのに道徳氏は、今回もまた「人脈で予算獲得」を言っていませんでしたか? 町政が思うようにいかなかった場合、候補者はたいていこう言ってごまかします。「やり残したことを2期目でやらせて下さい」 この殺し文句、結構、効くんですよね。確かに1期4年では出来ないことが多いでしょう。しかし、それは、やりたいことの方向性があって、徐々に出来つつあるがまだ時間がかかるという場合であって、「口で言うよりまず実行」を売りにしている道徳氏は、4年間何を実行したんだ、と問われてしかるべきだったのではないでしょうか。ウオーン。 芳清氏は正義感が強く、しかも論客だから、現町政の揚げ足取り(では本当はないんだけど)は好まなかった。自分の政策を町民に示し、訴えることは必ず町政の批判につながるし、支持が集まる、と信じたんです。 しかし、大差がついたということは、芳清氏の訴えが届かず、道徳氏の「政財界の人脈」を通じた「予算獲得」に3700余の町民の熱い期待が寄せられた、ということですよね。私も期待しています。とりわけ、4年前から引き続き行われているという航空運賃の値下げ交渉には、その実行力を思う存分発揮して、頑張って欲しいと思っています。これ、マジですから。そして、これからは、私たちも「口で言うだけじゃなくまず実行」を心がけましょう。
昨年12月議会における芳清氏の一般質問(と、町長答弁)がホームページ上に掲載されています。その格調の高さ、展開の鮮やかさ(に比べ答弁の情けなさ)を読むと、失ったものの大きさに泣けてきます。皆さんもぜひお読みください。
■ わたしが言い訳します2004年 9月19日 建クン ホームページを更新しなくなってからはや111日!とうとう「閉鎖か」という風評が流れるほどになってしまった!いやー、申し訳ないです。お恥ずかしいです。 決して、議会活動に見切りをつけた(ある意味そうとも言えますが)のでは、ないのです。 で、またまた“内助の妻”としては、タケシ君のためにひと言、弁解をお許し願いたいのですが・・・。 確か3月議会の時であったか、タケシ君は八丈島での在宅介護について、一般質問しました。この時すでに、ある方からグループホームの建設について相談を受けていて、そのための様々な打合せや膨大な書類作りが始まったのです。 タケシ君の長所(裏返せば欠点でもありますが)の一つとして、「つぶしがきく」(ヨーするに器用貧乏ってこと)というのがあります。本来なら外部の専門家に任せるしかないものも、なまじやれれば出来るばかりに、みーんな自分で作ってしまう。NPO法人申請書類から始まり、施設の運営規定、就業規定、云々カンカン・・・。極めつけは経営収支のシュミレーション! つまり、何人の施設利用者がいて、何人の職員がいて、施設利用料がいくらで、職員給与がいくらの時、経営状態はこうなる、とかいうののソフトを作ったのですよ。これを作るには時間がかかります。“寝食”のうちの“寝”を忘れるほどに没頭し、完成したら完成したで、様々な数字を入れ替えては頭をめぐらす今日この頃、なのであります。 そしてもう一つ、来年早々の町長選に向けた準備というものが加わりました。立候補を決意した沖山芳清氏をサポートし、議会活動だけではかなえられそうにない様々な夢の実現を、この町長選にかけようと思っています。 にしても、ホームページの悲惨さは何とかしなくては。「議会報告ぐらいはきちんとしなさい」とせっついています。
■ 現代の踏み絵か?学校現場の「日の丸・君が代」2004年5月11日
今、学齢期のお子さんをお持ちの方、心配事はなんですか?やっぱり学力のことですか。学校統合の問題もありますよね。でももう一つ、とっても深刻な問題が学校で進行しているんです。「日の丸・君が代」問題といわれているものです。 東京都教育委員会は昨年10月23日、入学式や卒業式に際し「教職員は指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する」などという内容の「通達」を都立高校長らに示し、校長の職務命令に従わない教職員は処分するという方針を明らかにしました。処分の内容も厳しく、職務命令に背く(つまり歌わない、起立しない、だけで)と、戒告から減給や免職、退職教員の場合は再雇用の取り消しなどを覚悟しなければなりません。 その通達を受けた今年の都立高の卒業式。処分覚悟の決断をした教職員は196名いました。この中になんと八丈高校4名の教員が含まれています。すごいことですね。そしておそらく、やむを得ず従わざるを得なかった校長・教頭・教職員も多数いたことでしょう。その、すさまじいというか、おそろしいというか、問題の卒業式の現場とはこんな感じだそうです。 式には東京都からの職員がかならず出席します。校長の職務命令が「きちんと」実施されているかどうか見張るために、です。職務命令を強制的に実施させるのは教頭の役目。お気の毒に、一番きつい役どころですね。ちゃんと歌っているか、きちんと日の丸を向いて起立しているか、チェック、チェック!違反者がいると即、直行、「立ちなさい」「歌いなさい」と詰めより、それでも立たない、歌わない場合は、こう言います、「先生、座っていますね。現認します。○時○分」「起立して下さい。立たないと職務命令違反になりますが、よろしいですね!」。 子供たちの入学や卒業を祝うための式で、なぜこのようないがみ合いが生じなければならないのか。しかも国歌を歌い、国旗を掲揚するのに、なぜ重い処分をともなう職務命令が必要なのか。ここでの「日の丸・君が代」は、サッカー・ワールドカップ会場での「日の丸・君が代」と同じではありません。また、歌わず、起立しない先生が、日本の国をないがしろにしているわけでもありません。これをめぐる歴史観とか、思想の問題もありますが、こんなむちゃくちゃな上からの押しつけ、強制には、バレーボールでニッポン・チャチャチャを叫び、オリンピックで日本金メダルに涙する私でも、逆に、絶対歌わない、立たないぞと決意せざるを得なくさせるものがありますね。 事実、卒業生の九割が歌わず、立たなかった学校(都立板橋高校)があるそうです。その卒業式には、都議会における「日の丸・君が代」実施の急先鋒である民主党の某都議が出席していました。滑稽かつ感動的、しかもこの問題の本質を示しているので、報道されているその日の様子をご紹介します。 まず、式直前の出来事から。この学校の卒業式に来賓として参加した元教員が、卒業生が入場する前に、卒業式の危機を訴えていたサンデー毎日の記事コピーを保護者席に回覧し、教員の現状を訴えましたが、すぐに退席させられました。その後、卒業生が入場、開式が宣言されましたが、司会の教員が「国家斉唱」と大声を発するや、生徒たちはサァーッと着席してしまいました。驚いた校長と教頭、そして来賓の某都議までが「起立しなさい」と怒鳴りまくる、と、「思想、 信条の自由はどうなるんだ」一生徒の声があがりました。すると教頭は「信念を持って座っているもの以外は立ちなさい」と叫ぶ、しかし約270人の卒業生は座ったままでした・・・・。 立たなかった高校生のすべてが、「日の丸・君が代」を拒否する思想を持っていたわけがありません。彼らが立たなかったのは、自分たちの考えを縛り、押さえつけようとすることに対するNO!の意思表示であり、極めて高校生らしい健康な感覚です。しかし教頭は、はからずも、座っていること=思想・信念を持っていること=処分対象、と本音を暴露してしまったのです。どういう思想・信念を持つ人を処罰するのかといえば、お上の言うことに従わない人であり、「日の丸・君が代」はその究極の手段として使われているのです。 この件で、なんと警察が校内に入り込み、「威力業務妨害」の疑いで管理職ばかりか教員たちにまで事情聴取を行い、生徒たちを裏で操る教員探しに躍起になりました。そんなものいるか!教室で先生が生徒たちに日の丸・君が代の一言でも話を出来るような状況は、たぶんありえません。監視の目はそれほど過酷です。そんな教員を見つけられなかったら、次には生徒の中から首謀者を捜す、という事態も起こりかねません。そして生徒の親たちにも・・・。 「処分」を振りかざし、校長と教頭を手なずけ、教職員を脅す。板挟みにあった校長先生の自殺という事態もおこりました。しかもこうした式のあり方は、都立高校のみならず公立の小中学校にまで及ぶことは必至であり、教育全般を都や国が牛耳っていこうとする強烈な意志を感じます。私たち日本人が、テレビのワイドショーで、北朝鮮の金正日礼賛の教育を嘲笑しているうちに、日本でも同じようなことが進んでいたわけです。文部科学省のでたらめな指導に振り回され、厳しい勤務評定と思想統制を受けている教職員、過去の日本の汚点を覆い隠そうとする教科書の登場、大学までも思いのままにしようとする石原都知事の都立大学構想、一方で進む少数エリート選別教育。 歌うのか、立たないのか、問われているのは先生方だけではありません。こんな通達を出させているのは誰なのか、それを選んだのは誰なのか、めぐりめぐって突きつけられた石原都政の現実を、今、これからただし、流れを変えていくこと、それが私の、出来ればあなたの、歌わない、立たない意志表示、です。
2004年1月5日
今まで、議会の傍聴には正直言ってあんまり行けていません。行ったときでも、学芸会でのわが子を見るごとく、建クンの出番の時だけ行ったりして・・テヘヘ。行った後、注文付けたりもします。「『エー』、が多いいよ」とか、「あそこははっきり結論付けるべきだった」とか。“素直” な建クンは結構そんなエラソーな文句でも聞いてくれます。 さて前回12月議会の後、彼はいつものごとく遅くまでパソコンに向かっていました。2,3日は続いたでしょうか。一体何をやっているのかと思ったら、議会発言のテープおこしをやっていたのです。議会事務局も全発言のテープをおこすのですが、それが出来上がるのはかなり遅くなります。それにしても、そんな手間のかかるもの、何も自分でやらなくっても、と思っていました。仕上がった後も、 私はダイジェスト版は読んでも、『全記録』は今日まで読んでいませんでした。お正月で暇だったので、ふと読みました。ところが、それがおもしろいの何のって!本当に、お腹を抱えて笑っちゃいました。特に、町長さんの発言!これなら吉本興業に入れますよ。 議会に行っても、町長さんの言葉は聞き取りにくく、何を言っているのかわからないのです。建クン発言中にある「語尾が良く聞こえない」という「傍聴者の要望」は私めからの要望なんでして。しかし、改めてわかったのは、語尾が消えたり声が小さかったから聞き取れないというよりも、中身がめちゃくちゃだから聞き取れなかったんだ、ということでした。 「あなたも長く議会とかあれをやりますとですね」「あなたも長く経験しますとですね」「あんたね、町長になればそういうこともあるんだからね」―これらは一種の枕詞、自分の立場を正当化するときに使います。そして締めの言葉は「その点はよろしくですね、ご理解頂いて、ひとつよろしくお願いいたします」であり、まとまりのない内容を、明らかにこの言葉でごまかしていますよね。 最近は、町長さんに代わって助役さんの登場回数が増えているようです。町長さんに比べると確かにまとまりがありますが、権威を押し出そうとしているところに大きな違いが見られます。例えばこんな発言―「ただいまのご質問ですが、大分誤解なさっておられることがいっぱいありますね」「あの文章(『この土地にクワを入れるな』の文章のこと)を読みますと、まったくもって、2番議員(建クンのこと)の勉強不足だと思います」「よく知らないと思います。あそこの土地にいかにも初めて今まで自然を守ってきたところにクワを入れるなというような文章でございます」「2番議員のなんか誤解するようなことがあったのでね、私とゆっくり話せば、一つひとつ全部話してあげますから、このことを是非とも今度時間があったら来て下さい」 こんなところにごまかされたのか、タイムス紙では助役発言を結論のごとく扱っていて、そのタイムス紙を読んだ人から、建クンがやりこめられてかわいそうと言われたり・・・。 しかし、過去の処分場用地選定の経過を、建クンはタイムス紙報道をもとに質問したのです。その内容を助役は「誤解だ」と言い、それをそのまま真に受け掲載することは、タイムスがタイムス報道を否定したことになるのではないでしょうか。いずれにしろ、脚色なしの議会記録を読めば、誤解をし、勉強不足なのは助役さんのほうなのだということがすっきりわかります。「この土地にクワを入れるな」は、今までクワを入れてきた、自然をこわしてきた、だからこれ以上いじってはいけないという、自戒の念のこもった言葉なのですね。しかも昔は開発がいいことだと思い、いろいろなごみを埋めたり燃やしたりすることが危険だとは知らなかったのです。有害ごみのことや、開発は自然破壊をともなうことは、時代の進歩と共に今や常識にまでなっていますが、助役さんの頭の中は旧態依然のままのようです。 最後に感心したこと。手前みそに聞こえそうですが、建クンの発言が立派だったことです。文としてもまとまっていて、絡み合わない発言にもきちんと反論していました。ここまでやれているのに、傍聴している側が今ひとつすっきりしなかったところが、彼の今後の課題なのかもしれません。 とにかく、一見にしかず、まだの人は読んでみてください。
■ 僭越ながら、タイムスにもの申す2004年1月5日 いやー、あのタイムス記事を見たときはあせりましたね。ほら、「断水時に取水した水源 坂下地域は大賀郷の井戸から」(12月19日号)ってやつですよ。なにしろ、「この土地にクワを入れるな」(大切な水資源を守り郷土の未来を考える会)というビラの、特に裏の地図の、特に「台風15号による停電で坂下地区が断水した際、給水に使われたのは中之郷の水でした。この水は自然流下のため、停電しても止まらないのです。」の言葉に、その時水をいただいた私としてはおおいに感動し、いろんな人に中之郷建設反対の署名をお願いしまくっていたからです。タイムス記事にいわく「台風15号で断水した時、坂下地域をまわった給水車は・・大賀郷の寺山井戸の消火栓から取水しており、坂上地域からは運んでいない」・・・マジっすか。じゃあ、あたし、ウソついちゃったわけ?どうしよう・・・。 と、思っていたところ、新年号のタイムスを見て、またまた、ギョウテン!「本誌前号『断水時に取水した水』の記事中、『坂上からの水は運ばれていない』という部分を訂正いたします」。・・・・ おいおい、訂正だけでいいのか、なんか、もう一言、言う必要があるんじゃないの、と割り切れない思いを抱きながら、しかし、どーしてタイムスともあろうものがこんなミスを犯したのか、と信じがたい思いも抱きながら、中之郷の知り合いに会ったのです。そして謎が解けました。なな、なんと、タイムス紙は、中之郷住民から取材をしていなかった!! 取材って、記者の「いろは」じゃない?新米新聞記者は、警察に毎日張り付くことが仕事だと聞く。そこで事件の第一報を得てから、いろんな角度の取材をして客観的な事実をつかみ、記事に仕上げていく。大切なのはウラをとるってことだ。そうか、タイムスはこのウラどり取材を省略したんだ。 しかし、最終処分場のあれこれを、建設地域の住民のところに聞きに行かないで、どんな記事を書くつもりなのか。心配になって以前の記事も読んでみる。そうすると12月5日号では「三原山は巨大な水ガメ 至る所に水脈 水道水源は15カ所」の見出しで「三原山系の水脈は、八丈富士の地下にも広がっている」と15カ所の水源の取水能力の表がある。表の中の中之郷水源は「安川」のみで、 しかも8番目のランクだ。これって、中之郷の水源はたいしたことないって言っているわけか? さらにさかのぼり、11月7日号。「雑音 『島益』につながるものは・・・」では、「現実的な方法論の一つとして、建設する地域にはその負担への対価があってもいいと思う」「きれいな水や自然環境といった坂上地域の特性と結びついた新しい地場産業創出」のような「処分場を建設する地域にとってもプラスに転じる発想も必要」と書かれてある。 こういう主張はよくあるぞ。原子力発電所などを作る場合、迷惑料として地元が見返りをもらったりするのだ。で、その後も、発電所に地元の人の多くが勤めるとか、発電所が生み出す税金とか、いろんなしがらみや利益が生まれ、事故が起こり大きい被害を被っても、なーんにも抗議が出来なくなってしまう。しかし、いくらお金をもらっても放射能は浴びたくないさ。だから、最近は、こういうアメとムチ作戦は成功しなくなっている。「絶対安全」なはずの原子力発電所のずさんな管理がわかってしまった今、どこもそれを受け入れてくれない。 処分場だって同じこと。危険性を知らされなかった今の埋め立て処分場で、いろんな被害を受けているから反対しているんだ。先人の教え「この土地にクワを入れるな」を守らず、新堤は汚れた。湧きあがるホタルも減った。水の流れや量も変わった。この うえ「クワを入れ」、自分の家の裏にわき出ている水が枯れるのがこわいから、停電になっても流れる水源を守りたいから、反対しているんだ。三原山の水源破壊にみあう「対価」、なんて、あるのだろうか? 八丈島でのタイムス紙の影響力は大きい。建クンの議会における12月の処分場関係一般質問のネタは、ここだけの話だが、ほとんどタイムス紙。それだけ信頼してたってことですよ。記事に記者の主観が入るのは仕方がないが(というより当たり前だが)、タイムスさん、しっかり取材し、客観的な事実を提供して下さいな。建クンの今後の議会活動のためにも・・・ネッ!
2003年9月30日 別にNHKの回し者でも、義理があるわけでもありませんが、NHK番組の宣伝をします。正確には山田太一作品の宣伝だけれども。 私ぐらいの年配(団塊の世代です)の人なら、「男たちの旅路」って番組知ってますよね。いま、衛星でこのドラマ(1977年放送)をアンコール放送しています。で、27日は、「シルバーシート」を放映しました。以前見たときはそれほどでもなかったのに、私の年齢がシルバーに近づいてきたせいか、いたく考えさせられました。老いの問題解決は、山田太一といえどもなかったのか・・・ このドラマの主人公は、特攻隊生き残りの中年男ガードマン吉岡指令補(演じるは鶴田浩二)、この説教好きの中年と対比させる形でドラマに奥行きを与えるのは、水谷豊、桃井かおり、柴俊夫などの若者たち。一話完結のいろいろなテーマを、中年・若者がそれぞれを主張しながらガードマンの立場から解決し、両者が歩み寄っていく、と書くといかにも陳腐そうですが、実はそうじゃない、脚本が見事で、どのテーマもアプローチが複層的、今見直しても古くさく感じないんだな、これが。
前置きはこれくらいにして、「シルバーシート」、いきます。ドラマを出来るだけ正確に伝えたいため、台詞を多用しますが、どれも私の記憶のヒダに閉じこめたもの、多少の不正確はご勘弁を・・・ 「シルバーシート」、いってみよう ある老人の死
きっかけはある老人(志村喬)の突然死だった。かつて敏腕記者だったらしいこの老人は、毎日のように羽田国際空港(当時はそうだった!)に姿を現し、だれかれとなくしつこく話しかけ、空港ガードマンの間では、近寄らないように、適当にあしらうようにと、マークが付いている。水谷、桃井の両ガードマンも、この老人を疎み、避けていたが、空港内で突然亡くなってしまったことで罪悪感に駆られる。 悲しい“盛り上がり”
次の舞台は老人ホーム。焼香に訪れた二人を老人仲間(笠智衆、藤原鎌足、殿山泰治、加藤嘉)が酒でもてなす。飲めや歌えやですっかり盛り上がるが、このホームの住民は昼酒禁止。施設長からクレームが入るが、心配ご無用、老人たちが飲んでいたのは日本酒ではなくただの水だった!水でこの盛り上がり、―
老人たちの現実がじわっと浮き出るこの導入がお見事! 都電ハイジャック 次はいよいよメインの舞台へ。なんとこの老人4人組が車庫におさまっていた都電1車両をハイジャックしてしまうのだ。何のために?何を求めて?これがテーマなのです。私もこの4人組がドラマの中で問うたように、皆さんに訊きます、このハイジャックはなぜやったと思いますか、と。老人ホームへの待遇改善要求か、嫌がらせか、社会へのアピールか???結論から先に言うと、すべて、no、であり、すべて、yes、なのです。
要求はないと言いながら都電内に立て籠もる老人たち。タイムリミットが迫る。いつもながら主役ー鶴田浩二登場、(待ってました)、彼がどのような解決をはかるのか・・・ 鶴田主役、自らを語る 理由はわかるかと問う老人に彼は言う、「わかりません。しかし、訴えたいのは心の問題なのではないか。私は特攻隊の生き残りだ、世間では特攻隊を様々に言う、なんで抵抗しなかったのか、若くして死んでかわいそうだ・・・私はそのどれも違うんじゃないか、と思ってしまう。しかしそれを声高に主張したいとは思わない、ただ死んでいった仲間のために、自分だけは彼らのことを忘れずにいたい、と思う」
主人公は、自分が特攻隊でたまたま生き残ったことに罪悪感を感じ、それを引きずって生きている。自分の生はいわばおまけと感じている。この主人公の生き方と、生そのものである若者の生き方・考え方がぶつかりながらも前進していくことが、このドラマ全体を貫く大きなテーマだ。(ちなみに、この主人公と同じようなことを9・11テロの生き残りの人が言っていました。阪神大震災の被災者も同じようなトラウマを抱えているそうです。また、それを癒すのは、生をとらえ返す活動や生き方のようです) ハイジャックの目的は? 老人は言う、「私らはあんたの20年後の姿だ。私らもかつては活躍した。尊敬もされた。今は年寄りだが、昔やったことで敬われてはならんのかね」 (鶴田)「しかし、こんなやり方はあなた方をおとしめるだけだ。言いたいことがあるのだったら堂々と言えばいい」 (老人)「私らの年代にならなければ、あんたにはわからない」 (鶴田)「何でやったのかわかるかと謎をかけ、年を取らねばわからないと突き放す、これでは駄々をこね、押し入れに閉じこもる子どもと同じではないですか」 (老人)「そうなんだ、私らは押し入れに閉じこもったんだ」 またある老人は言う、「00さんが死んだとき、寂しかったんだ。そんな時××さんがハイジャックやろうって言い出した。わくわくしたな。こんなことやろう、あれも用意しなくちゃって、楽しかったよ」 またある老人は続ける、「そりゃ俺たちは世話になっているよ。世話になっているからおとなしくしていなきゃいけないってことはわかってるんだ。でもでも・・・年取らなきゃわからねえんだ、おまえらにゃ、俺たちのことなんかわからねえんだ・・・」
まあ、まあ、となだめつつ、老人リーダーは最後に言う、「吉岡さん(主人公の名前)、ここは一つ何にも説明しないで、私らを警察に引き渡して下さい」 そして、結末・・・ 吉岡さんは、約束通り、彼らがハイジャックした理由も、おとなしくお縄になった理由も、仲間にも一言の説明をせずに、ドラマは終わる。 やっぱり解決はないんだ、これが私の感想。吉岡さんが説明しなかったのはそのせいなんだ。年を取ることへの恐れ、年を取ってしまった自分へのいらだち、そしてそんな年寄りをわかるはずもない周りの人間や社会への漠然とした怒り。ハイジャックでもするほかないじゃないか!しかし、彼ら「ハイジャック犯」をなだめる答えは見つかりそうにない。年を取らなければ本当にはわからない、しかし、若者と子ども以外は何となく知っている、老人問題。死、と同様に、人間が最後に受けなければならない試練なのかもしれない。 ドラマで老人を演じた5人と鶴田さん、鬼籍に入ってしまいました。改めてこのテーマが重くのしかかりますよね。 なお、次のアンコール放送は4日(土)午後10時半から、ゲスト根津甚八で「墓場の島」です。これもオススメですよ。
■八丈町のマニフェストは? ―議会を傍聴して― 2003年9月26日 マニフェスト また建クンが難しい横文字を持ち出した!?
2003年9月12日 デポジットが終わった。役場広報やごみかんニュースなどでは、環境問題に一定の成果あり、などと煮え切らない総括をしているが、実現できなかったのだから、はっきり言って失敗である。失敗の原因は、全島参加を実現できなかったからではなく、全島参加の必要性すら感じなかったデポジット事業そのものにある。 そもそも、このデポジットはなぜ始まったのか。東京都が八丈島に予算をくれたからである。なぜ八丈島に?ちょんこめのアルミ缶回収の実績や地熱・風力発電などから環境問題に熱心なイメージがあったからなどといわれているが、真意はいずこに。
確かなことは、島の内発的なものから始まったのでないこと。これが失敗の原因その1であり、すべてと言ってもいいくらい。 しかし、何でこんなにデポジットは理解しにくいのか。環境問題への誤解も大きい。環境をきれいにしようとか自然を大切に、と言うことに反対する人はまずいないという思いこみ。みんな環境を大切にしたいんだ、みんなを信じようよ、と「善意」の人は言う。捨ててある缶を拾うのはきれいにしたい気持ちからなんだ、デポジットの10円のためではないんだ、と「善意」の人はまた言う。いや、10円が惜しくて捨てちゃう人も捨てなくなる、なんて反論しても、デポジットは性悪説に矮小化され、性善説に負けてしまう。飲料缶やペットボトルの10円上乗せなんてちゃちいものではなく、車とか、家電製品に高額のデポジットをやったらわかりやすかったのかもしれない。かくして企業の製造責任にまで行き着くことなく、初っぱなの、拾うだ、捨てるだ、集めるだの議論の段階で終わってしまった。 「ごみかん」や「事業者の会」が登場し、住民の側からの運動と意義とを打ち出したりして見えにくくなったけれど、所詮これも「公共事業」だったわけだ。お上から言いつけられ、お金を与えられ、期限内に予算を消化できればOK。そこには失敗も成功もない。やる人間も年度が変われば変わってしまうのだから責任の取りようもない、か。7月に行われた住民説明会はひたすらペットボトルリサイクルの話題に終始した。デポジットの成果はペットボトルの回収にあり、ということですか。誰かね、こんなシナリオを作ったのは? こういう行政の無責任時代も変わらざるを得なくなる。地方自治体は、仕事の中身を自分で考え、予算を作っていかなければならない。政策は八丈の将来へのビジョンを持たなければ決まらない。行き当たりばったりの事業にはお金をくれないばかりか、自治体としての能力なし、と、どっかの自治体にくっつけられてしまうかもしれない。少なくとも八丈島は、全国から注目されたデポジット事業で一花咲かせることも出来ず、売り込む絶好の機会を自ら葬り去ってしまった。今さら「スローアイランド」などと実体のない二番三番煎じの標語を掲げて、八丈島よ、一体どこに行こうというのか・・・ (カット:奥山幸子) 2003年4月3日 きっかけは、国連査察官の講演ビデオを見る集まりだった。 こうして、3月28日付タイムスに広告が出され、 3月30日の「イラク・ピースアクション」への動きが決まった。 3月30日、日曜日、天気は快晴。 桜の花が咲き始めている。
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